とあるKSDDのアイドル考察録

アイドルオタク9年目のKSDDがアイドルに関して色々考えてみます

アイドルは性的搾取されているか ~『持続可能な魂の利用』書評~

きっかけはゆっふぃーのツイートだった。

このツイートから興味を持った僕が少し調べてみると、アイドルオタクの女性の話だという。早速購入して読んでみることとした。

この本は、最近よく話題になる日本における女性の生きづらさにフォーカスしている。セクハラや、低用量ピルの処方、非正規女性の立場など様々な女性の生きづらさが描かれているが、ここはアイドルオタクとしてのブログなので、その中でもアイドルに関して言及されているところに注目してみよう。

※以下、ネタバレを含みます。

 

 

 

欅坂46について

欅坂46の革新性について

この本で主人公、敬子さんがハマるアイドルの名前は表記されていないが、イメージされているのは明らかに欅坂46平手友梨奈さんだ*1

どこか不穏な前奏とともに、道に倒れていた××は起き上がり、空に向かって握り拳を突き出す。後ろからどどどっと走り寄り××に合流したほかの女の子たちも揃ってファイティングポーズのようなポーズをそれぞれ決め、みんなと同じでいいのか、と反抗的なメッセージの歌を、まるで軍隊のような衣装を着て、まるで軍隊のように揃った動きで、挑戦的に歌い踊った。

 

僕は欅坂46には全く詳しくないのだが、仮にもアイドルオタクであればすぐにわかる描写だ。そして、本書の中でこのアイドルはAKB48に代表される従来型のアイドルに対するアンチテーゼとして賞賛される。

アイドルじゃないような歌を歌い、アイドルじゃないようなダンスを踊り、アイドルじゃないような衣装を着た、笑わないアイドルは、笑わない××は、彼女たちは、かっこよかった。

常に笑顔を張り付かせ、制服を模した衣装のひらひらとした短いスカートから「見えてもいいパンツ」を見せて歌い踊っている大量のアイドルの女の子を見ることが、ある頃からしんどくなっていた敬子は、そうじゃないアイドルの女の子たちの姿を見るだけで、救われた気持ちだった。

 

僕の欅坂46に対する印象

正直僕は欅坂46がこれまでのアイドル像を打ち破る存在だとは思っていなかった。難易度の高いダンスに挑戦しているという認識はあったが、歌唱力は大したことなく、ダンスに重点を置く新コンセプトの坂道シリーズ、というぐらいのイメージだ*2

そして、社会への反抗をメッセージにこめた点についても冷めた見方をしていた。彼女たちにのバックにつく秋元康のおかげで欅坂は最初から大々的なプロモーションができたわけで、そんな「反抗」は偽物に過ぎないだろう、と思ってしまいそのメッセージもイマイチ響かなかった。


大森靖子「サイレントマジョリティー」Music Video

 

欅坂46の持つ自己矛盾

その自己矛盾については敬子さんも認識している。

けれど、××の所属するグループをどれだけ気に入っても、好きになっても、このグループもまた、ある頃から日本で主流となった、量産型のアイドル体系の一部である事実から目を背けることはできなかった。

ひらひらした衣装の笑顔のアイドルたちも、分厚い生地の衣装を身につけた笑わない××たちも、同じ一人の男にプロデュースされていた。長きにわたり日本のエンターテインメントの世界に君臨し、権力を持つ男に。

その自己矛盾に気付いてなおそのメッセージ性を信じられるのはなぜだろうか。それを考えてみる中で僕はtipToe.というグループを思い出した。彼女たちは3年間でグループを卒業する、というルールの中で活動しており、そのルールによって「青春」感を増幅させている。そのルール自体は運営であるおじさんサイドが決めているものだが、それを体現するメンバーたちにとってはその3年間は真実である。

idol-consideration.hatenablog.com

それと同様に、欅坂46が歌う「反抗」も、彼女たちの気持ちが乗っているのであれば、それが秋元康によって作られたものであったとしても、偽物とは言えないかもしれない。

 

アイドルの性的搾取

本書での描かれ方

本書ではアイドルが性的に消費されている現実についても描き出している。元アイドルの登場人物・真奈さんは性的な目を向けられたことを自覚して、卒業を選ぶ。彼女はファンの男性が描いたエロ小説を見てしまったのだ。

それは物語だった。少女とある男の恋愛が、一人称で語られていた。「ぼく」がストーカーに襲われそうになっている少女を助けたことで、恋がはじまる。
(略)
真奈の体の特徴は、二人の親密さを表す効果的な記号として、主にセックスの場面で活躍していた。二人の「初体験」では、「ぼく」によって優しく外された白のレースのブラジャーに、実際の真奈のカップ数が正確に書き込まれてさえいた。
(略)
ただ、彼女の内側で確実に何かが損なわれた。黒いもの、としか言いようのない、ドロッとしたものが、彼女の臓器一つ一つにこびりついてしまって、洗い落とすこともできない。四十代の男に「恋愛」としておかされる自分の姿は、真奈の頭の中に、物語で描写された体のパーツのすみずみにこびりついてしまった。

 

性的搾取の定義

性的搾取の例として描かれているこのエピソードだが、そもそも性的搾取とは何だろうか。国連では”Sexual exploitation”を定義している。簡単に言うと、「性的な目的で弱い立場の人に対して権利を乱用すること」みたいな感じかなぁ*3

Sexual exploitation - any actual or attempted abuse of a position of vulnerability, differential power,or trust, for sexual purposes, including, but not limited to, threatening or profiting monetarily,socially or politically from the sexual exploitation of another.

https://www.who.int/about/ethics/sexual-exploitation_abuse-prevention_response_policy.pdf

 

アイドルへの性的搾取

定義を確認したところで、アイドルに対して性的搾取が行われているかどうか考えてみよう。

一般的にはオタクとアイドルの関係においては、オタクが優越的な地位にあると言えそうだ。アイドルは典型的な「客商売」だし、日本においては客商売のフロントに立つ人と客という関係性においては、客が優越的な立場にある*4

ついで、性的な目的で権利を乱用しているか、ということについては、例えば特典会やSNSでセクハラまがいの発言をしたり、手以外の体に触れようとする行為は優越的立場を利用した性的目的の行動であり、明確に性的搾取と言えると思う。もちろんアイドルとオタクの間で信頼関係が構築されていて、下ネタを言い合えるような関係なら良いと思うが、アイドルの心中なんてオタクにはわからないのだ。

では、本書で描かれたような、エロ小説を書いて本人に見せるような行為はどうだろうか。やっぱり「見せる」というところがポイントで、オタクからアイドルに対して行動に出ている点で、性的搾取と言えるのではないか。

翻って、エロ小説を自分で書いて、それをこっそり一人で楽しんでいる場合はどうだろうか?これについては、僕はセーフだと思う。では、アイドル本人に見せることなくネットに公開する行為はどうだろうか。うーん…キモいとは思うが、定義的にはセーフなのかなぁ?*5こういう話にはキリがない。

 

僕のアイドルへの向き合い方

ここまで他人事のように考えてきたが、自分自身のことを振り返ってみよう。まず、僕はアイドルをネタにシコったことはない(直接的な表現ですみません)。しかし、エロい目で見たことはないのか、と問われたらそうは言えない。水着グラビアはやっぱりエロい目で見ちゃうし、水着じゃなくても露出度の高い衣装にはある程度はエロい視線を向けてしまう。

僕は「性的搾取」をするつもりは毛頭ないし、性的な目で見たとしてもそれをアイドルに伝えない程度のモラルは持っている。しかし、性的な目で一切見るな、と言われたらそれはやっぱり難しい。そして、それは多くのオタクも同じなのではないだろうか?

 

アイドルへのガチ恋

ガチ恋勢にとっては、それはさらに難しいことだろう。好きな人とセックスしたいと、いうのは至極普通の感情だ。アイドルに疑似恋愛的な要素がついて回る以上、性的な目で見られることは避けられないのが現実だ。「私に恋してね、でもエロい目で見るのはNGだよ」というのは、ちょっと難しい。

 

構造上の問題

もちろん、アイドル本人が性的な目で見られることについて甘受すべきだとは思わない。だが一方で、オタクに「一切性的な目で見るな」というのも難しい。問題はそう言った問題を軽減させるどころか助長しようとする構造ではないだろうか?

例えば、過剰にガチ恋を生み出そうとする「恋愛禁止」というルールはその最たるものだ。アイドルを一人の人間としてとらえたときに到底許されるものではないだろう。

また、年端もいかないアイドルたちに、運営はアイドルであることの意味をしっかり伝えるべきだ。例えば、水着グラビアやきわどい衣装をやる時には、オタクから性的な目で見られる可能性を明確に説明する必要がある*6

そして、オタク側も自分が優越的立場にあることを認識し、自分の言動が性的搾取ではないか常に自戒すべきだろう。

 

アイドルの未熟さ

未熟さを愛でる文化

いわゆる「アイドルの未熟さ」を愛でる文化についても本書では批判的に描かれる。

××が所属するグループ体系は、もともとは「未熟さ」を魅力として、大量の女の子を世に売り出しました。「未熟さ」が熱狂的に受け入れられたということは、このころの日本では、「未熟さ」を魅力として考える人が多かったからだろうと推察できます。つまり、女の子たちではなく、国そのものが「未熟」だったのです。

 

韓国の女性アイドルは、同時期の日本のアイドルが求められていたような「未熟さ」とは無縁でした。歌やダンスといったパフォーマンスや外見に至るまで、すべての出力を全開にして、彼女たちはステージに立っていました。
(中略)
一方で、日本ではまだ、世界的な傾向などには無関心を続け、アイドルの主流は相変わらず、弱々しい、可愛らしい女の子たちでした。というより、意地でも主流にし続けようとしていました。

個人的には、この見方にはあまり同意できない。まず、現在NiziUが流行し始めているが、ここ数年で社会の潮流が変わり始めたという印象はない。シンプルにメディアプロモーションに力を入れたところが流行する、というだけの話ではないか?

また、「未熟さをめでる文化」の存在についても、僕は懐疑的だ。「未熟さ」それ自体は魅力ではない。そこから生まれる成長物語や、熱量が魅力なのだ。本当に未熟さだけが魅力なら、常に若いグループ・メンバーが人気になるはずだが、今の日本には長いキャリアでパフォーマンスを成熟させながら、人気を保つグループがたくさんある。

僕が推しているアイドル、安本さんはまさに弱々しい女の子だった。でも、そんな彼女はたくさんの壁にぶち当たり、悩み、乗り越え、今は病気と闘っている。僕は彼女が未熟だから推しているのではなく、その未熟さを乗り越えていく姿に勇気づけられて、推しているのだ。

idol-consideration.hatenablog.com

 

 

僕は「おじさん」か?

本書では、日本の女性を生きづらくさせる男性中心思想を「おじさん」と表現している。

一つ、「おじさん」に年齢は関係ない。いくら若くたって、もう内側に「おじさん」を搭載している場合もある。上の世代の「おじさん」が順当に死に絶えれば、「おじさん」が絶滅するというわけにはいかない。絶望的な事実。

一つ、「おじさん」の中には、女性もいる。この社会は、女性にも「おじさん」になるよう推奨している。「おじさん」並みの働きをする女性は、「おじさん」から褒め称えられ、評価される。

そして、タイムリーなことに「おじさん」代表、森さんによる女性蔑視発言が話題だ。

www.nikkei.com

 

僕はここまでわかりやすい「おじさん」ではないが、「おじさん」的要素を多かれ少なかれ持っている気がする。ここまで書いてきたように、本書に賛同できる点もあったし、ピンと来ない点もあったが、ピンとこないのは僕が「おじさん」だからではないか?という不安が拭えない。

 

しかし、僕はアイドルが好きだし、彼女たちが幸せであることを願っている。そう思っている以上、本書で描かれる女性の生きづらさの問題から目を逸らすわけにはいかない、と自覚させられる一冊だった。

 

持続可能な魂の利用

持続可能な魂の利用

 

 

 

*1:本書では××と表記されている

*2:あんまり詳しくない個人の主観なので、欅坂46のファンの方は怒らないでね

*3:ちょっとニュアンス違うかもしれない。英語は苦手なので…

*4:そもそも一般的な客商売で客が優越的な立場にある、という状況自体がイケてないと思うが

*5:なんか別の法律に引っかかってくる気もするが

*6:もっとでかい話をするとそもそも性教育をしっかりするべき、というところにもつながってきそうだ