とあるKSDDのアイドル考察録

アイドルオタク9年目のKSDDがアイドルに関して色々考えてみます

オタクによるアイドル文化論 ~アイドル批評誌『かいわい』書評~

先日アイドル批評誌『かいわい』という同人誌をいただいた*1。せっかくいただけたので、書評…というか感想に近いものになってしまったが、書いてみた。

 

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本書の構成

本書の構成は、座談会が最初にあり、編集部による論考、インタビュー、寄稿、漫画と続いている。本書の編集メンバーは主にドッツのオタク達のようだ。本書を読んで僕はまず、こう思った。

ドッツのオタクって感じだな~」

 

念のためドッツのことを補足しておこう。ドッツは「都市」をコンセプトにしたアイドルであり、2019年に活動休止した。全員グラサンで名前がなかったり、72分1曲のCDを発売したり、きわめてコンセプチュアルな、傍から見るとよくわからん活動をしていた。

・・・・・・・・・は都市やインターネットを中心に活動しています。
グループ名の公式の呼び名はなく、人それぞれ「ドッツ」や「ドッツトーキョー」「てんちゃんズ」などと呼んでいます。
メンバーはサングラスのようなもので顔が隠れており、名前も全員・。ファンには「てんちゃん」と呼ばれています。
一見して変なグループです。しかしながら、同時に激しいダンス、可愛さと音楽通も唸らせるクオリティを両立させた楽曲で、その王道性も評価されています。

・・・・・・・・・

メンバーの名前がないせいで、僕は最後まで何人組グループなのか、よくわからなかった。フェスや対バンでライブも何度か拝見したが、なんつーか…難解だった。そのため、楽曲は好きで音源は買っていたんだが、終ぞ現場に通うことはなかった。

そんな難解なドッツを主現場として通っていた皆さんがこういったアイドル論を考察されるのは、イメージに合っている。いくつかのコンテンツの中身にフォーカスして具体的に見てみよう。

 

座談会『テン年代アイドル史』

編集部の皆さんを中心とした2010年代のアイドル史についての座談会だ。アイドルオタクの目線からのものであり、自分の感覚とは近く、良い振り返りとなった。最近ナタリーで同様の連載が組まれていたりしているが、2010年代のアイドルシーンを振り返るのはトレンドなのだろうか。

natalie.mu

自分は、2013年にモノノフとしてアイドルオタクになって以来、いわゆる楽曲派アイドルを推し続けてきた。こんなブログを書いていることからもお察しだが、分析したり論じたりするのが大好きなタイプの面倒なオタクなので、歴史を振り返りながら総括するこの座談会は楽しく読めた。

 

論考『二〇一〇年代アイドル論講義』(古川智彬さん)

この論考では、2010年代にされてきた「アイドル論」そのものについての総括を行っている。アイドルを観察・分析する「アイドル論」の変遷を観測することにより、アイドルシーンの変遷の観測を試みるものだ。

具体的には、2010年代のアイドル論を「戦国時代のアイドル論」、「アイドル論の整理」、「アイドル論の多様化」の3ステップに分類したうえでの分析を試みている。僕が特に面白いと思ったのが、「アイドル論の整理」にて参照された香月孝史『アイドルの「読み方」-混乱する「語り」を問う-』の意義である。

第二の意義ですが、本書の発売当時かなり多く用いられていた「アイドルを超えたアイドル」や「アイドルらしくないアイドル」といったような語り方がなぜ生じてきたのかを指摘した点です。

香月はイマジナリーな「アイドルらしさ」のステレオタイプが社会に浸透していることをその根拠として指摘している、とのことだが、確かに…と思わされた。

僕自身が今推しているフィロソフィーのダンスもよく同様のアピールをしている*2。そういったアピールを見る度に僕はモヤモヤした気持ちを抱く。僕が彼女たちを推すのは「アイドルらしくないから」ではなく、もっと本質的な部分にあるんだよ、と言いたくなる。古川さんも指摘するように、2021年現在この傾向は続いており、悔しい気持ちになる。

 

本論考ではこのように多様なアイドル論が参照されており、僕自身はこれまで社会学的な見地からアイドルを考えたことがなかったので、興味深く読むことができた。

 

論考『来たるべき現場論に向けて』(結城敬介さん)

概念的であった前述の論考とうってかわって、現場に即したものだ。この論考ではアイドル現場における「正しさ」を問い直している。

そして断言しておくなら、アイドル文化に参加することで生じているオタクの「正しくなさ」は、ある。オタクが消費者として、アイドル文化の抱える諸問題の構造の温存へと関与していることは確実である。

(中略)

その「正しくなさ」がどのようにして積極的にアイドル文化を担っていたかを、あらためて確認していきたい。いわば、アイドル文化はグレーだということを。

 

僕が最近違和感を覚えることの一つに過剰に「正しい」ことを求める風潮というものがある*3

そして、そういった「正しさ」を要求する波はアイドルオタクにも訪れていると感じる。例えば正しいオタク像として、アイドルの恋愛を許容する、コールは空気を読んでする、クソリプしない…などだ。もちろんその「正しさ」自体は疑いようのないものなのだが、その正しさが行き過ぎるとアイドル現場の自由さを阻害しないだろうか?大声でMIXを打ちたい日だってあるし、アイドルの彼氏を許せないことだってある。

この論考ではBELLRING少女ハート”asthma”を例に挙げてこう締めくくっている。こういうグレーな部分がアイドル現場の面白さだという意見には完全に同意である。*4

アイドルとオタクの関係の幸福さを多くのものが知らないし、同じくらい多くの不幸も知られないままである。そして、幸福なのか不幸なのかわからない、強い当事者性のなかに、複数の視点が織り込まれていることを明らかにすることも追いついていない。
(中略)
アイドル文化の醜さも、その輝きも、ひとつずつ眺めて灰色にとどまる時間と場所が、今、必要なのだ。

 

寄稿「アイドルを描く」(笹田晋平さん)

画家の笹田さんによる寄稿も興味深いものだった。美術についての造詣はゼロに等しいので、油絵・群像画に関する話などは初めて知ることだった。そういった前提を説明したうえで、アイドルを現代美術と融合させるという考え方も面白かった。

前述の論考が現場のオタク目線で描かれたものであったため深く共感できるところがあった一方、業界のアウトサイドからアイドルをとらえる視線というのは新鮮なものだった。

 

最後に

本書のサブタイトルは~Can You Feel The Change of Idols~と銘打たれている*5。最近はAKBが作ったアイドルブームは終わったといわれることもあるが、とんでもない。アイドル業界は常に新陳代謝を繰り返しており、そこにかかわるオタクも同様だ。そんな変化の中で連綿と受け継がれるものを「文化」と呼ぶのだろう。

その「文化」をオタク達は主にネットで論じているわけだが、それを複数人が集まって座談会をしたりしたうえで、実際に本の形にしたという点で、本書は意義深いものだったと思う。 

 

 

ちなみに本書のなかで、僕が前回のエントリ↓で参照した絵恋ちゃんのコラムを参照している箇所があった。アイドルオタクやっぱり同じようなもの読んでるんだな・・・笑

idol-consideration.hatenablog.com

 

*1:RTキャンペーンで幸運にも抽選に当たったのだ

*2:「お酒好きを公言する」や「下ネタを平然と言う」など

*3:不倫をした芸能人が大罪を犯したように報道され、女性蔑視発言をしたラジオパーソナリティに批判が殺到する、など

*4:一応言っておくが、僕はピンチケ自体は嫌いである笑

*5:なお題字は元ドッツ、現RAYの内山結愛さんによるもの